岩橋亮独立開業への軌跡

誕生~学生時代

1980年11月28日 誕生

1987年4月~1993年3月 島本町立第四小学校時代

阪神ファンに

  • 島本町の地区対抗ソフトボール大会で”左利き”ということだけでピッチャーに抜擢され、野手のみなさまのすばらしい働きで優勝する。(私は打ちやすそうなストライクを投げていただけ)ご褒美に監督が阪神vs横浜の甲子園観戦につれていってくださり、阪神ファンとして本格始動する。

経営コンサルタントを志した原点

  • 吉川英治”三国志”や、戦国時代の本や伝記に夢中になる。この時に”山本勘助”や”諸葛亮孔明”といった軍師に憧れを抱く。現代版軍師である、経営コンサルタントを志すようになったルーツはここにある。

1993年4月~1996年3月 島本町立第一中学校

Mr.Childrenとの出会い

  • 1994年。友達にテープにダビングしてもらった”イノセントワールド”がきっかけにMr.Childrenが大好きになり、これ以降、ミスチルとともに人生を歩みはじめる。ミスチルのボーカル、桜井さんの歌詞が僕の思考に与えている影響ははかりしれない。現在も引き続きミスチルの発売されたCD・ライブDVDは全て購入している。また、ap bank fesに何度も参加することで持続可能な社会、環境にも人にも優しい社会を志向するようになる。

1999年4月~2003年3月 関西大学商学部商学科会計コース

飲食業を中心に色々とアルバイト

  • 和食のファミレスでキッチン
  • 個人経営の寿司屋で食器洗い、接客、出前配達
  • 居酒屋でキッチン
  • 町工場で軽作業
  • コンサートスタッフ(数回)
  • ホームセンター(超短期)

簿記2級合格

  • 会計コースのゼミであったため、ゼミ生は公認会計士や税理士、簿記一級を目指す人ばかりでビックリ。教授も「会計コースを選んだ以上はせめて簿記の2級くらいは…」と言われ、就職活動でアピールしようと簿記2級に挑戦。2度失敗し、3度目に合格するも時既に遅し。すでに内定をいただいた後でした。しかし、この簿記2級が、その後の会計事務所への転職につながる。

情報システムで日本を元気にする!

  • 進路について考えた時に、まずコンサルティング会社を考えた。いきなり、コンサルティング会社に行く前に普通の会社を経験したいと思い、文系でも”システム”という物作りができる情報システム会社でシステムエンジニアという道を選択した。また、画期的なものが好きな僕は情報システムで経済の活性化をしようと燃えていた。ちなみにプログラムの知識はゼロであった。

社会人時代

社会人1stステージ

-2003年4月~2005年7月 情報システム会社勤務-

星野タイガース18年ぶりの優勝と私の決意

  • 実は1992年、初めて甲子園に連れていってもらった時の2位をピークに、応援し始めた後の阪神タイガースはひたすら弱かった。バース・岡田・掛布で最強だった1985年の優勝は当時5歳で残念ながら記憶にない。この時はこの時で甲子園のチケットも楽に買えて良かった。その阪神タイガースが18年の歳月を経て、2003年9月15日にリーグ優勝を見事果たした。18年間、Aクラスさせ遠かったタイガースが優勝したことの衝撃は大きく、感動の涙を初めて流したこの日を境に私は涙もろくなった。そして、「あのひたすら弱かった阪神が優勝しよったからには自分もなんかせな!」と一念発起することを誓う。

中小企業診断士の学習開始

  • 情報システム会社で、お客様の業務よりの仕事をしていた私は、もっと経営のことを学んで会社の業務全体を知ろうと思い、中小企業診断士の勉強をはじめた。働きながら毎週土曜日の夜に約1年通い続けた。後半は日曜も二次試験対策や答練、模擬試験もあり、学校に通った。

Y先生との出会い

  • 中小企業診断士の通学講座に行くようになって、一番の衝撃はY先生との出会いだった。Y先生は土曜日の通学の時の先生で、とてもわかりやすく、話が楽しく、そしてなによりも活き活きと輝いて仕事をされていた。Y先生の姿を見て、「Y先生のようになりたい」と強い憧れの気持ちを持ったが、憧れだけで資格がとれるほど世の中甘くはない。

夜型人間から朝型人間へ

  • 中小企業診断士の学習は難航した。平日の仕事帰りに家の近くのマクドナルドの3階で学習していたが、まったく内容が頭に入らない。このままでは合格することは不可能だと思った。そこで、思い切って仕事が始まる1時間前に職場の最寄り駅に行き、出社前の1時間、朝に学習をすることにした。この転換もはじめは難航を極めた。とにかく布団から起き上がるのが辛い。しかし、なんとか起きて学習をしてみると頭の吸収の良さに驚いた。どんどんと内容が頭に入ってくる。夜に勉強するよりも2~3倍学習効率が良いと感じた。朝の1時間は夜の2~3時間、あるいはそれ以上の価値があると確信した僕はこの習慣をなんとか自分のものにすることができた。診断士学習の中で、朝の時間を自己啓発、読書、デスクワークに重点的に活用するようになった。これは現在も継続している。

決意の退職

  • 中小企業診断士の学習の中で、中小企業の経営に直接触れてみたいと強く感じた僕は仕事の区切りのタイミングで退職することを決意した。ありがたいことに、職場の諸先輩は私の志を支持してくださり、最後には色紙と餞別のプレゼントまでいただき、大きな志を胸に送り出していただいた。

社会人2ndステージ

-2006年1月~2008年7月 会計事務所勤務-

第一次中小企業診断士試験

  • タイトルでお察しの通り、一回ですんなりいくほどこの試験は甘くない。初挑戦では、合計点では合格ラインにあったものの、運営管理という科目で足切りにひっかかってしまい涙の不合格となった。しかも、マークシートあと1つで合格であった。資格の学校の解答速報を見た時はギリギリで合格点であったが、どうもその解答速報が少し間違っていたようで本当の解答と比べるとマーク1つ足りなかった。ぬか喜びをした上での悲劇的結末であった。

従業員1300人の大企業から20人の事務所へ

  • ご縁があって、会計事務所にお世話になることになった。従業員数が2桁違う会社に行くとその違いは強烈である。とにかく嬉しいのは経営者の顔が毎日見られることだ掃除を自分たちでするのも新鮮だった。よく考えれば当たり前のことだが、掃除のおばちゃんにしてもらっていた前の職場にとっては意外だった。さらに驚いたのは給料が手渡しであること。直接経営者から「ご苦労様」と毎月言われていただくのは非常にありがたみがある。便利だが、預金口座に振り込まれるのは味気ないということに気づかされた。

エクセラー

  • 会計事務所に入って、最も注目されたのがエクセルスキル。前の職場で先輩らについていこうと必死で覚えたエクセルテクニックを今度は伝達する側になった。また、情報システム会社に勤務していたということでホームページのリニューアルやソフトの更新など、IT面でいろいろとお役に立つことができた。また、マニュアル魔となり、自分が携わった業務はほとんどすべてマニュアルを作成した。

第二次中小企業診断士試験

  • 第一次中小企業診断士試験の時に、試験直前の1週間はまだ再就職しておらず、資格の学校の自習室でラストスパートをかけてひたすら勉強していた。おそらく人生で最も集中して勉強した一週間であったように思う。しかし、マーク1つ足らず足切りで不合格に終わった。
  • その反動で完全に燃え尽きた私は年内は全く勉強しなかった。年が明けてようやく学習を再開した。今度はひたすらマイペースで平日朝の学習を中心に学校は模擬試験に行くだけだった。前回よりも、試験本番もリラックスした気持ちで挑戦し、今度はどうにか一次試験を合格した。そして、ほとんど対策をしていなかった二次試験もなぜか運良く合格することができた。ドキドキの面接試験もクリアし、二度目の挑戦で念願の中小企業診断士に合格できた。が、資格取得までの道のりはまだまだ長い。

中小企業診断士の実務補習

  • 筆記試験にすべて合格すると、今度は5日間で、3~5人ほどでチームを組み、指導先輩の下、実際に中小企業の経営を診断する実務補習を受けないといけない。働きながらこれをこなすのはなかなかハードであったがこれが非常に楽しかった。各自が担当分野を持ち、社長にヒアリングを行い、レポートをまとめていくプロセスが非常にエキサイティングだった。

新たなる挑戦

  • 実務補習が終わり、中小企業診断士の資格を晴れて取得すると、ご縁があって士業の交流会に声をかけていただいた。そこには司法書士や社会保険労務士、税理士など個人で独立して自由業として活躍される方々がおられた。みなさまの独立した時のお話はどれも刺激的で、その意見を集約すると、「独立してみればなんとなかる」ということだった。
  • 中小企業診断士としての力をフルに発揮し、経営支援に特化するため、また、経営を語る上では自らも経営をしていかなければならないと思い、お世話になった会計事務所に無理を言って独立開業させていただくことになった。このときも、事務所のみなさまは送別会まで開いていただき、非常にあたたかく送り出してもらえた。しっかりと恩返しができるようにもっともっと成長しなければならない。

成否を知るのは天のみ。大切なのは後で後悔しないこと

  • この独立開業が成功するか、失敗するかは天が決めること。大切なのは数十年後に「あの時、こうしておけば良かった。」と後悔しないこと。独立当時は、幸い、まだ家族もなく、とても身軽な立場。大失敗するならそれも本望、失敗だと気づいた頃には次の道がきっと拓けているはずだと考えていた。
  • 小学校の時にあこがれた軍師の現代版である(と思い込んでいる)経営コンサルタントの入口にようやく立つことができた。会計事務所時代に、自分探しの専門家の方のご協力を得て、一度人生を振り返りった。すると、”経営”というものを軸にすれば結構筋の通った生き方をしているなと再確認することができ、自分の人生に自信がついた。

社会人3rdステージ(従業員0人。中小企業コンサルタントとして独立開業)

2008年8月1日 岩橋マネジメントサービス設立-

中小企業診断士として27歳で独立

  • 独立はピンチからのスタートだった。独立当初の月売上は1万円。どうしたらいいのかの試行錯誤の連続で、生活の危機、廃業の危機を存分に味わった。お客さまがいることがいかにありがたいことかを身にしみて感じた。その中で、すばらしいご縁に恵まれ、心あるみなさまのご支援やご指導のもと、ようやくどうにか立って歩けるようになってきた。「岩ちゃんは絶対成功すると思う。俺は全く心配してない。」という親友からの心強い激励に何度も励まされた。
  • ここまで、独立開業までの長いお話にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。母子家庭という大変厳しい経済状況の中、私立の大学まで行かしてくれ、独立当初も物心両面で支えてくれた家族に心から感謝しております。この物語が今後、どのようになっていくかはライブでお楽しみください。

【連載ブログ】中小企業診断士独立体験記(27歳で独立10年目記念)

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