【こんな方にオススメ】(5段階)
●徳・誠実さを学びたい ☆☆☆☆☆
●国・企業の再建の考え方を学びたい ☆☆☆☆

【今回のテーマ】
日本人

【今回の一冊】
◆タイトル:『代表的日本人』
◆著者:内村鑑三 鈴木範久訳
◆出版社:岩波文庫
◆ページ数:208
◆1995.7.17 初版

 

【レビュー】

●西郷隆盛

「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、
残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功が見えるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである。」

「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である。」

「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。」

「徳に励む者には、財は求めなくても生じる。したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。いにしえの聖人は、民を恵み、与えることを得とみて、民から取ることを損とみた。今は、まるで反対だ。」

西郷隆盛の章で紹介されている言葉をご紹介しました。
本書は、1908年(明治41年)4月29日に刊行された英文著作(Representative Men of Japan)の翻訳です。
新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的著作です。
英語の他にデンマーク語、ドイツ語などにも翻訳され、当時、これほど世界の諸国語に翻訳されている日本人の書物は極めて稀でした。
その反響も大きく、ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任した時に、ある日本人記者がインタビューで

「日本人で尊敬する人はいますか」

と質問したところ、ケネディは即座に

「はい、それは上杉鷹山です。」

と応えて貴社を驚かせました。なぜ、ケネディが上杉鷹山を知っていたかというと、それは
「代表的日本人」を読んでいたからだったとのことです。

代表的日本人は5人が紹介されており、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人です。
私は特に、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹の3者について、強い印象を持ち、何度も読み返しました。
そして、もっとそれぞれの人物について学びたいと思いました。
訳者解説で、本書の主題が要約をご紹介します。

・西洋のキリスト教信徒に、優るとも劣らぬ日本人のいたことを紹介しようとしています。
・近代の西洋文明と、それを安易に受容した近代の日本文明への批判になっている。ややキリスト教的観点から説明されている部分がありますが、物語としても大変、面白く、頭に入れておきたい名言も多々ありました。

(1)上杉鷹山 ~封建領主~

上杉謙信の折、300万石を誇った上杉家は豊臣秀吉の政権時に会津120万石となり、関ヶ原で西軍に与したことで米沢30万石となり、さらに石高は15万石に減らされていました。
15万石の大名でありながら、100万石の家臣を抱え、当時の慣習やしきたりをことごとく踏襲しており、藩の維持が難しく、負債は何百万両にものぼりました。

上杉鷹山は、17歳でそんな上杉藩の藩主となり、その再建を成功させた人物です。

鷹山の道徳改革の中の農民への教え

「伍十組合の令」は、鷹山の理想国家を誠によく物語っているので、できるかぎり原文に近いかたちで全文を掲げる。

「伍十組合の令」
農民の転職は、農、桑(蚕を育てる)にある。
これにいそしみ、父母と妻子を養い、お世話料として税を納める。しかし、これはみな、相互の依存と協力とをまってはじめて可能になる。
そのためにはある種の組合が必要である。
すでに組合がないわけではないが、十分頼りになるものではないと聞いている。
それで新たに次のように伍十組合と五カ村組合を設ける。

一、五人組は、同一家族のように常に親しみ、喜怒哀楽を共にしなければならない。

二、十人組は、親類のように、たがいに行き来して家事に携わらなければならない。

三、同一村の者は、友人のように助け合い、世話をしあわなければならない。

四、五カ村組合の者は、真の隣人同士がたがいに、どんなばあいにも助けあうように、困ったときは
助けあわなければならない。

五、たがいに怠らずに親切をつくせ。もしも年老いて子のない者、幼くて親のない者、貧しくて養子のとれない者、配偶者を亡くした者、身体が不自由で自活のできない者、病気で暮らしの成り立たない者、死んだのに埋葬できない者、火事にあい雨露をしのぐことができなくなった者、あるいは他の災難で家族が困っている者、このような頼りない者は、五人組が引き受けて身内として世話をしなければならない。
五人組の力が足りないばあいには、十人組が力を貸し与えなければならない。
もしも、それでも足りないばあいには、村で困難を取り除き、暮らしの成り立つようにすべきである。
もしも一村が災害で成り立たない危機におちいったならば、隣村は、なんの援助も差し伸べず傍観していてよいはずがない。
五カ村組合の四カ村は、喜んで救済に応じなくてはならない。

六、善を勧め、悪を戒め、倹約を推進し、贅沢をつつしみ、そうして天職を精励させることが、組合を作らせる目的である。

田畑の手入れを怠り、商売を捨てて別の仕事に走る者、歌舞、演劇、酒宴をはじめ、他の遊興にふける者があれば、まず五人組が注意を与え、ついで十人組が注意を与え、それでも手に負えないときは、ひそかに村役人に訴えて、相応の処分を受けさせなければならない。

この布告にどこにも役所臭さはありません。
これに類する定めが、地球上の他のどこかで布告され、実行されたという話を、私どもは今まで聞いたことがありません。
鷹山の米沢領だけでに見られるものだ。
こう断言してもよろしいでしょう。
アメリカでいう農業組合は産業組合にほかならず、その中心的な目的は利得です。

 

(2)二宮尊徳 ~農民聖者~

「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」

「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。術策は役に立たない。」

「一人の心は、大宇宙にあっては、おそらく小さな存在にすぎないであろう。しかし、その人が誠実でさえあれば、天地も動かしうる」

「なすべきことは、結果を問わずなされなくてはならない」

これらのことを述べたり、またこれに類する多くの教訓によって、尊徳は、自分のもとに指導と救済とを求めて訪れる多数の苦しむ人々を助けました。

~手だてに困ったときの飢饉の救済法~

国が飢饉をむかえ、倉庫は空になり、民に食べるものがない。この責任は、治者以外にないではありませんか。
その者は天民を託されているのです。民を善に導き、悪から遠ざけ、安心して生活できるようにすることが、与えられた使命ではありませんか。
その職務の報酬として高禄を食み、自分の家族を養い、一家の安全な暮らしがあるのであります。
ところが今や、民が飢饉におちいっているのに、自分には責任はないなどと考えています。
諸氏よ、これほどなげかわしいことを天下に知りません。

この時にあたり、よく救済策を講じることができればよし、もしできないばあいには、治者は天に対して自己の罪を認め、みずから進んで食を断ち、死すべきであります!
ついで配下の大夫、郡奉行、代官も同じく食を断って死すべきであります。
その人々もまた職務を怠り、民に死と苦しみをもたらしたからであります。
飢えた人々に対して、そのような犠牲のもたらす道徳的影響は、ただちに明らかになりましょう。

「御家老様と御奉行様が、もともとなんの責任もないにかかわらず、私たちの困窮のために責任をとられた。私たちがおちいっている飢饉は、豊かなときに備えようとはせずに、ぜいたくと無駄遣いをしたためだ。立派なお役人らをいたたましい死に追いやったのは私たちのせいである。私たちが餓死するのは当然だ。」

こうして飢饉に対する恐れも餓死に対する恐怖も消え去るでありましょう。心は落ち着き、恐怖は除かれ、十分な食料の供給も間もない。
富める者は貧しき者と所有を分かち、山に登って、木の葉、木の根も食べることになりましょう。
たった一年の飢饉では、国にある米穀をすべて消費しつくす心配はありません。山野には緑の食物もあることです。
国に飢饉がおこるのは、民の心が恐怖におおわれるからであります。これが食を求めようとする気力を奪って、死を招くのです。
弾丸をこめてない銃でも、撃てば臆病な小鳥を撃落とすことがあるように、食糧不足の年には、飢餓の話だけで驚いて死ぬことがあるものです。
したがって、治める者たちが、まずすすんで餓死するならば、飢餓の恐怖は人々の心から消え、満足を覚えて救われるでありましょう。
郡奉行や代官にいたるまでの犠牲をまたずに、よい結果が訪れると思います。このためには家老の死のみで十分であります。
諸氏よ、これが、なんの手だてもないときに飢えた民を救う方法であるのです。
尊徳の痛烈な話は、まじめに語られた話ではありますが、もちろん実行をねらっていたわけではありません。救済は実直に遂行されました。

(3)中江藤樹 ~村の先生~

中江藤樹は、近江の国の高徳にして進歩的な思想家で、”近江聖人”と呼ばれた人物です。

「人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが、君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善に出会えば行う。ただ求めようとしないだけである。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。」

「”学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるものではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識はあるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」

「徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善をすると一悪が去る。日々善をなせば、日々悪は去る。昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるならばすべての悪は消える。」

●経済と道徳を分けない

東洋思想の1つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方にあります。
東洋の思想かたちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実の関係と同じであるとみます。
木に肥料をほどこすならば、労せずして確実に結果は実ります。
「民を愛する」ならば、富は当然もたらされるでしょう。
「ゆえに賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない。」
このような儒教の教えを鷹山は、尊師細井から学びました。

5人目の日蓮上人について、著者は、多くの批評があることも認めた上で、しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人の中でこのうえなく勇敢な人間と紹介されています。
他にも紹介したいエピソードはたくさんあります。
本書の二宮尊徳・中江藤樹・西郷隆盛・上杉鷹山はいずれもいずれも孔子の思想を背景にしているところが多く、これがきっかけで『論語』を学びはじめました。
『論語』は孔子と弟子の問答で、抽象的なことではなく、実際の場で活かせる思想がたくさん盛り込まれています。
『代表的日本人』は、今の日本人に何か欠けているものを教えてくれたような気がしました。

【目次】
はじめに
一 西郷隆盛 ―新日本の創設者
二 上杉鷹山 ―封建領主
三 二宮尊徳 ―農民聖者
四 中江藤樹 ―村の先生
五 日蓮上人 ―仏僧
『日本及び日本人』序文
『代表的日本人』ドイツ語訳版後期
訳注
解説
~本書の主要資料~
西郷隆盛
・『西郷南洲翁』
・『西郷南州翁逸話』
上杉鷹山
・『米沢鷹山公』
二宮尊徳
・『報徳記』
中江藤樹
・『藤樹全書』
・『近世大儒列伝』
・『近江聖人』
日蓮上人
・『日蓮大士真実伝』
・『日蓮上人』
・『元祖化導記』

【今回の一冊】
◆タイトル:『代表的日本人』
◆著者:内村鑑三 鈴木範久訳
◆出版社:岩波文庫
◆ページ数:208
◆1995.7.17 初版

【おすすめ度】(5段階)
●総合 ☆☆☆☆☆
●読みやすさ ☆☆☆

【編集後記】
東洋的な経済の考え方、道徳の大切さを学ばせていただきました。
また、さらに深めたいと思いました。

【目指せ200冊レビュー!】
今回で162冊目です。

 

代表的日本人

丹波経営研究会